火葬の歴史

火葬は、日本では一般的な死体の処理方法ですが、その歴史についてひも解いてみます。
日本では平安時代以降、皇族、貴族、僧侶などに火葬が広まったのちも、土葬が広く用いられていました。
仏教徒も合わせて、近世までの主流は火葬よりも死体を棺桶に入れて土中に埋める土葬でした。
その理由は、儒教の価値観では身体を傷つけるのは大罪であったこと、人体を骨と灰にまで焼く火葬では強い火力が必要なため燃料代がかかので、人口急増で埋葬地の確保が難しくなる明治期に到るまでは、少なくとも庶民にとっては土葬の方が安価だったためと言われています。遺体という物質を、焼骨に変えるまで燃やすには、生活に必要だった薪を大量に使用する必要がありました。
また効率よく焼くための専門的な技術が求められたため、火葬は葬儀費用がかかる葬儀様式でありました。
明治時代に入ると市街地に近接する火葬場の臭気や煤煙が住民の健康を害している事が問題になり、警視庁の前身が司法省へ火葬場移転伺いを出しました。
明治政府は、土葬用墓地枯渇のおそれは低いとの報告を受けた直後の明治6年(1873年)7月18日に火葬禁止令を布告しましたが、都市部では間もなく土葬用墓地が無くなり始め、埋葬料が高騰し埋葬受け入れが不可能となる墓地も出てきて混乱が起きました。
その後明治政府は火葬場問題から宗教的視点を排して公衆衛生的観点から火葬を扱うようになり、人口密集度の高い地域には土葬禁止区域を設置するなどの政策を取りました。
大正時代になってから、地方自治体が火葬場設置は加速し、土葬より費用や人手が少なくて済むようになったこともあり、現代の日本では火葬が飛躍的に普及して、ほぼ100%の火葬率となりました。